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Aquila Takayama

南方マンダラ ― 作品について

博物学者・南方熊楠(1867–1941)が1903年、真言僧・土宜法龍に宛てた書簡に描いた図の総称が 「南方マンダラ」です。世界のあらゆる現象を、原因と縁の交錯として生成される網目として捉えた 彼の宇宙論を、一枚の図に落とし込んだものでした。原図は白い書簡紙に墨で引かれた、 無数の直線と曲線の交錯です。この作品はその図を静止した図像としてではなく、白い紙の上で休みなく描かれては消えていく線の網として再解釈した Web グラフィックアートです。

二つの図

「南方マンダラ」と呼ばれる図は、主に二種あります。7月18日付の書簡に描かれた認識論の図は、無数の直線と曲線が走り、それらが交差する点の群れとして描かれます。 熊楠は「この宇宙は前後左右上下いずれの方からも事理が透徹してこの宇宙を成す。その数は無尽である。 故にどこ一点を取っても、それを敷衍研究すればいかなることをも見出しうる」と説明しました。 もう一つ、8月8日付の書簡には、密教の両界曼荼羅を下敷きにした生成論の図があり、 心から物が生じ、物と心が反応して事が生まれる、という生成の連鎖が描かれています。 この作品が直接の手がかりとするのは前者、線の交錯としての認識論の図です。

「南方マンダラ」という呼び名は熊楠自身のものではなく、社会学者・鶴見和子が仏教学者・中村元に 7月18日の図を見せたとき、中村が「南方マンダラですね」と即座に言ったことに由来します。

五層の不思議

熊楠は世界を構成する認識の次元を、五つの「不思議」に分けました。作中の線は基本的にすべて墨の黒で、 不思議の色はごく限られた瞬間・場所にだけ差されます。色が稀であることが、この作品の設計です。

物不思議
自然科学で解明できる物質の領域。線が描かれるその先端にだけ、群青が一瞬だけ露われ、 描き終わると墨の黒に沈みます。
心不思議
精神・心理の領域。物と同じく、描かれる線の出自として朱が一瞬だけ差されます。 墨と朱は、書簡の時代の筆記の二色でもあります。
事不思議
物と心が交差して生まれる出来事の領域。三本以上の線が出会う結節点=萃点にだけ、金茶の短い線分と淡金のにじみが落ちます。 熊楠が最も関心を寄せたのが、この「事」でした。
理不思議
推論や直観によってかろうじて到達しうる領域。網がほどけて画面が最も疎になる時間にだけ、 消えつつある萃点から画面外へ、深緑の破線の弧が伸びます。
大不思議
人智を超えた宇宙の全体、大日如来そのもの。この作品では地の白そのものです。 あらゆる線も色もその上に生まれ、そこへ還っていく。描かれないことによって、 すべてを包むものとして表されています。

萃点(すいてん)

図の要にあるのが萃点です。多くの因果の系列が交錯する結節点であり、 熊楠は「そこを取れば、いろいろの理を見出すに易くして速い」と述べました。重要なのは、 萃点が中心ではなく交差点だということです。鶴見和子は「中心にあると命令することになる、 天皇制みたいになる。そうではなく、すべての人がそこで出会う交差点、異なるものが交流して 影響を与え合う場だ」と解説しました。だからこの作品でも、萃点は画面中央に固定されず、 線の網が組み変わるのにしたがって、あちこちに生まれては消えていきます。

因縁 ― 必然と偶然

熊楠が当時の西洋科学に反発したのは、世界を因果律(必然)だけで説明しようとする点でした。 仏教の因縁論では、「因」は必然的な因果関係を、「縁」は偶然の干渉や触媒を意味します。 熊楠いわく「縁とは、一つの因果の継続中に他の因果の継続が割り込んでくるもの。今日の科学は 因果は分かるが、縁が分からぬ。この縁を研究するのがわれわれの任である」。この作品で 画面に触れると、その場所を貫いて朱の割り込み線が走り、既存の線と交わった場所に 新たな萃点が次々と点火します。割り込んだ線もやがて黒に沈み、網の一部になります。 鑑賞者自身が「縁」を持ち込む行為として設計されています。

生々流転 ― 生じては消える線

原図は一度きり、墨で描き付けられた静止の図です。しかし熊楠の見た宇宙は静止していません。 因果の系列は伸び、交わり、断ち切れ、また別の場所で結ばれ直す。この作品の線が生じては消え、消えては生じるのは、その運動を紙の上に返すためです。 線は筆で引かれるように現れ、糸を手繰るように端から消え、ときに断ち切れて散ります。 網は数分ごとに大きくほどけ、ほとんど白紙に近づいてから、別の場所で編み直されます。 それでも完全な白紙には決して戻りません——宇宙は連続しているからです。

熊楠が生涯を賭けて研究した粘菌は、植物でも動物でもない、分類の境界に立つ生き物です。 単細胞のアメーバとして独立して活動しながら、必要に応じて集合して一つの体となり、また散っていく。 この作品の線の網が中心を持たず、集まっては解け続けるふるまいには、熊楠がその小さな生き物から 得た直観——世界は固定した構造ではなく、生成と消滅の過程そのものだ——が響いています。

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